1944年東京生まれ。高校2年生の時、ジャズ喫茶でファンキー・ジャズの洗礼を受けてミュージシャンを志望。
63年にはジャズ・バンドに入り、アルト・サックス奏者として演奏を始める。1969年にはピアニストの菊地雅章に見いだされてバンドに入団。70年には初のリーダー・アルバム『MINE』を発表。この年、スイングジャーナル誌読者人気投票のアルト・サックス部門において渡辺貞夫に次ぐ第2位となり、新人プレイヤーとして注目を集める。
71年、アルトからテナー・サックスに転向。73年、菊地雅章バンドを退団後、ニューヨークに渡り2年間滞在する。1975年帰国後、すぐに自己のバンドを結成し、演奏活動を開始。
78年、本田竹広(ピアノ・キーボード)、村上寛(ドラムス)らと「ネイティブ・サン」を結成し、ジャズ/フュージョン・バンドとして人気を集める。1992年には同グループでサンパウロ、モントルーのジャズ・フェスティバルに出演、ニューヨークのボトムライン、セブンス・アベニュー・サウスでもライブを行なう。
現在は1992年に結成した自己のクインテットを中心に演奏活動を展開。1993年には同グループによるアルバム『MAJOR TO MINOR』を発表し、、スイングジャーナル誌ジャズ・ディスク大賞において日本ジャズ賞を受賞。1996年には同クインテットでニューヨークのジャズ・クラブ「バードランド」に出演、1997年10月には同クインテットの3枚目になるアルバム『BALANCEZ』を発表する。
スイングジャーナル誌のポール・ウイナー・テナー・サックス部門では1991年より8年連続(通算10回)のウイナーに輝いている。
リーダー・アルバム以外のレコーデイングでは菊地雅章(73〜89)、MAL WALDRON(73)渡辺貞夫873、76)、日野皓正(77)、富樫雅彦(91〜98)、NATIVE SON、FOUR SOUND等を含め、40枚以上のセッションに参加。
重厚かつ風格あるテナーのサウンドはまさに一級品。日本ジャズ界を代表するサックスの第一人者である。